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ベニシアさん。

話は前後しますが、先日日本に帰国していた時に京都・大原のベニシアさん邸に行く機会がありました。

「猫のしっぽ カエルの手」に私も一度出演させていただくことになって、その撮影でお邪魔することになったのです。
ベニシアさんとは京都の清水寺コンサートに来ていただいた時にお会いして以来だったのでちょっと久しぶりでした。

4月のベニシアさんの庭は、土の中で眠り待っていた植物が一気に噴き出してきたかのようなエネルギーがあって、風とは別に何かうねるような気が吹いているような感じがしました。どんな庭の隅っこにも、どんな石にも一つたりとも手の届いていない部分がなくて、家・庭・花・植物を含めた全てが彼女なのかな、と思いました。・・と言うか、もっと厳密に言うと、「彼女」というよりは「家族」。ベニシアさんひとりではなくて、ご主人や息子さんもこの世界の大切な主人公なのだと思いました。

「ちょっとお腹がすいたでしょ?」
と言ってベニシアさんが出してくれたおやつ、これがものすごーーーく美味しいのです。
クラッカーに、梅で作ったチャツネをぬって、その上にチーズを乗っけて、出来上がり。
思わずワインまであけて、話はいよいよ止まらなくなり、調子に乗ってピアノまで弾いて・・・と、気が付いたら京都行きの最終バスはとっくに出た後でした。

ベニシアさんは、やっぱり凄い人だな、と思った瞬間があります。
彼女の横でピアノを弾く時感じた事なのですが、彼女は耳で聞いているというより、呼吸で聴いているような気がするのです。彼女の呼吸が私のピアノとどんどん一致していって、私もその呼吸の中にどんどん溶けて行くような不思議な感覚を感じるのです。
いつも弾いている曲なのに、彼女の横で弾くと急にその曲の中にあった私の知らない部分が浮かび上がってきて、自分でも驚くような・・・そんな不思議な力をベニシアさんは持っているのだと思いました。
もしかしたら、彼女の庭の草花たちも、彼女の呼吸と一緒に響き合いながら生きているからこんなに力強く、美しいのかな・・なんて想像しています。

5月16日に、この日収録したものが放映されるそうです。
私はスペインにいるので見ることができませんが、みなさん、お時間があったら(そしてBSハイビジョンが受信できれば)、是非ご覧になってくださいね。

  • 2010年05月05日(水)17時21分

ドイツに行ってきました。

いつもの事ながら嵐のような日本滞在となりましたが、昨日コルドバに戻りました。

毎日「ああ日記~~」と気になりつつも、どうしても時間が上手に作れなくて気が付いたら「月記」となってしまいました。私なんかよりも、もっと忙しくて、もっと大変な人は一体どうやって毎日ブログを書いているんだろうと、本当に尊敬せずにはいられません・・。

今回、日本には3週間近く滞在して、その後スペインに3日だけ戻ってバレンシアの近くにあるカウデテという街でリサイタルを一本やって、その後3日間、ミュンヘンに行ってきました。

学生時代からの親友、スーザンが50歳の誕生日を迎えることになり、この日はスーザンに内緒でミュンヘンに行って誕生日祝いにサプライズ参加しようと、一年前から彼女のご主人と一緒に企んできた楽しみにしてきた日でした。

コルドバから車で190キロ飛ばしてマラガの飛行場に行って、そこから2時間半でミュンヘンです。
飛行機から見る景色は、バルセロナ、マルセイユを越えて、アルプス山脈へとどんどん緑が濃くなっていきます。
ミュンヘンには独特の青空の色があります。言葉では説明のできない微妙な透明な白が滲んだような、凛とした青空です。
学生時代にたった5年間暮らしただけですが、今でも自分にとってはまるで故郷のような場所でもあります。

さて、凄かったのがスーザンの50回目の誕生日パーティ。
ビアガーデン付きの古いバイエルン郷土料理のレストランを貸し切っての大宴会でした。
招待されたのは130人。そのうち私一名除き全員がバイエルンの民族衣装、ディアンドゥル(ハイジの衣装のようなものです)でやってきて、それはもう本当に華やかでした。
前菜は自家製の燻製生ハム、ソーセージ、チーズ、ラディッシュ、酢漬けのきゅうりが山盛りになったお皿、主菜には焼いた豚肉にマッシュルームソース、自家製のパスタ、サラダが出てきました。
その食事の量も凄いのですが、なんてったって凄いのがビールの量。後でスーザンに聞いたところ、130人で空いた量は、

ジョッキヘレスビール 215杯 (215リットル)
白ビール 208杯 (104リットル)
白ワイン 26本
キルシュヴァッサー (40度のサクランボの蒸留酒) 18本
お子様ビール (ビールをコーラとキルシュヴァッサーで割るというオソロシイ飲物。どこがお子様用なのかよくわからない) 
23本(23リットル)

スゴイです。

全員の飲みっぷりをみて、さすがに自分も酒に強くなった基本的な要因はこの国にあるかも・・と自覚しました。そして、そのあとスペイン、キューバとさらなる酒に強い国に渡ったのは偶然ではないような・・・。

呑み、歌い、踊り、笑い、朝5時まで宴会は続きました。
そして二日酔いとなった翌日、スーザンが「今日は二日酔いで、みんな胃が潰れているから、軽くバーベキューとビールで済ませることにするわ」、と行って今度は焼き肉パーティが始まったのでした。

ドイツ人はよく食べ、よく呑みます。

  • 2010年05月04日(火)22時35分

ニューアルバム「馨 かおり」 が出来上がりました!

今日ついに、ニューアルバム「馨 かおり」ができました。プレスしたての熱熱CDです。

CDとして生まれたアルバムを手にとると、言葉にならないほどの喜びを感じる思いです。

この一枚のアルバムができるまでに、どれだけの方にお世話になり、力づけ、励ましていただき、そして私自身も悩み、何度も書き直し、録音を重ねたことでしょうか。
中にはとても短い曲もありますが、作る時には短い曲ほど時間をかけたような気さえします。

きっとこの音楽が皆さんに京都・大原のベニシアさんのお庭、そして京都を越えて地球の草花森林、春夏秋冬、鳥や虫たち、空、風、雲、星の響きとなって、届いてくれるに違いないと祈っています。

沢山の方からご注文をいただき、本当に心から感謝しています。

今日はご注文いただいたお一人お一人に感謝の心をこめて、サインをしているところです。
来週の始めには皆さまのお手元にお届けいたします。今しばらくお待ちください。

  • 2010年04月16日(金)13時36分

京都です。

最後のダイアリーを書いた後、スペインを発って帰国して、今日の今日まであまりにも目まぐるしい毎日の為、まるでパソコンに向う時間が無く、すっかりダイアリーじゃなくなってしまいました・・・。
みなさん、たいへん申し訳ありませんでした。

日本に着くとすぐにバルセロナから来日した料理人と、大阪の料理人による食の対決を約一週間にわたって企画&通訳しました。
予想を上回る大盛況で、一人1万円する特別メニューの予約も限定100人の予定が最終的には200人以上の予約が入り、日本とスペインを繋ぐ素晴らしいイベントになった気がします。
フォアグラの様々な食感、日本の米とスペインの米で炊くパエリアの違い、マグロのスペイン流の火の通し方、日本の料理人にしか作れない極上スペインオムレツ、ガスパチョ、カタルニアのワイン、山葵や醤油、山椒を使ったスペイン的な味・・・全てにおいて、究極の二国間交流だったような気がします。
・・・しかし、私は調子にのったその勢いで頑張りすぎてイベント終了後4日ほど倒れ、内二日は死ぬかと思いました。風邪+時差ボケ+喋り倒しまくった結果の喉枯+料理人達の凄まじい体力にやられました。

初来日したスペイン人シェフに、イベント最後の日の夜、京都の祇園にある、小さな割烹料理に案内しました。
その日の朝に取れた筍が、まるで音楽で言えば「モチーフ」のように、全てのお料理に粋な形・香り・味となって現れ、時には花で一杯の桜の枝や摘みたての木の芽なども出てきて、お食事そのものが全ての感覚にとって新鮮で最高に美しく、そして本当に美味しいものでした。
それまでは、全速力でアクティブに仕事をしてきたおしゃべりな料理人も、この料理を食べ始めると急に無口になり、料理が進むにつれ更に無口に・・・。
そして、料理が終わるころに一言、こう言いました。

「神事だ」

体とスピリットが、料理を通して浄化されていくと言うのです。
こんな言葉は聞いたことがなかったので、私もとても驚きました。

そして、さらにもうひと事。

「これから毎年、日本に学びに来ることに決めた!ミネ、私はまた近いうちに、再び来るからね!」

(えええっっ・・・マジっすか・・・・?)
1週間、このイベントの準備とお世話で睡眠時間が2時間以下で相当フラフラで、ピアノもレコーディングも全部延期して頑張った私も、再び来るかもしれない次回を想像するだけで意識がもうろうとする思いだったのでした・・・。

  • 2010年04月12日(月)14時47分

帰国です。

今日は荷造りをして、明日マドリッドに行って、木曜日の便で日本に帰ります。

今回、日本にはバルセロナの有名シェフを一緒に連れて行くことになっています。
来週30・31日に、大阪のとあるレストランで、「ニッポンVSエスパーニャ」の料理対決が開催されます。
料理はコースで、内容は
フォアグラ・米・豚・牛・マグロ・タコ・旬の野菜を素材として、互いのシェフが自分にしかできない最も美味しいと思う郷土料理をお互いの調和を考えて作りだす、というものです。
どこか音楽のセッションと共通していて、どんな展開になるのか今から楽しみです。


今回は1ヵ月日本に滞在するので、久しぶりに京都でお花見もできるかなと、期待しています。
また、NHKのインタビュー番組にも出演する予定がありますので、また予定が決まったらお知らせしますね。

  • 2010年03月22日(月)17時20分

月下美人。

たった一粒の普通のトマトの種から特殊な肥料も何もなしに、13000個も実のなるトマトの巨木を育てた野澤重雄さんの映像を見る機会がありました。

野澤さんの言葉によると、
「技術的には何の秘密もないし、難しい事もない。ある意味では誰にでもできること。」
「一番大切なのは育てている人の心です。成長の初期段階でトマトに、いくらでも大きくなっていいんだ、という情報(十分な水と栄養があるんだという情報)を与えてやりさえすれば、後はトマトが自分で判断します。トマトも“心”を持っています。」

今はもう亡くなられていますが、久しぶりに野澤さんの映像を見て、あらためて心が熱くなる思いがしました。

この野澤さんのメッセージに通じる不思議な体験をした事があります。

まだドイツに暮らしていた時のことです。
18歳で日本を発つ時に、父が庭にあった月下美人の葉を一枚持たせてくれました。
月下美人は南国に育つ不思議なサボテン科の植物で、葉(というか茎)の部分を切って水につけるとそこから根が出てきて成長します。

寒いミュンヘンの気候でも、月下美人は元気に根を出してくれて、鉢に植え替え、天気の良い季節には外に出し、たっぷりの光を与えたり冬は家の中でピアノの横に置いたりして毎日よく話しかけていました(結構寂しい大学時代だったような・・)。
月下美人はどんどん大きくなって、留学して2年目の夏には見事なつぼみをつけました。
このつぼみというのが凄くて、数か月かけて日に日に大きくなり、そのうち全体の茎が垂れ下がるほどの大きさになって、ある一晩だけ咲くのです。それも、信じられないほどの香りを放ちながら。花の大きさは20センチくらいはあったでしょうか。

そして、その開花した花を夜遅くまで楽しんだ翌朝、起きると花はしぼんで、そのままポトンと床に落ちているのです。

それから毎年8月になると花を咲かせるようになって、私もその時期が来ることを楽しみにしていました。

大学を卒業する頃から、私の中でも色々な苦しい事や悩みが増えて行って、これからどうやって生きて行くかを決断しなくてはならない時期がやってきた夏のことです。
行き先を探して、ドイツの家を2カ月以上あける事になってしまいました。
楽しみにしていた月下美人の茎には、すでに小さなつぼみが付き始めていました。
「今年は見てあげられないかもしれない、ゴメンね。」
と言って友人の家にその鉢を預けました。

それから数か月の間に、様々な事が起こって、ずっと暮らし続けようと思っていたドイツを離れる決心をしました。

冬の気配が漂い始める10月中旬。
全ての荷物をまとめようとドイツに戻り、月下美人を預けてあった友人の家に行くと・・・。

月下美人の花が今にも咲こうとしていたのです!
それも、今まで毎年1つか2つしか咲かなかったのに、7つものつぼみが今まさに一気に花開こうとしているではありませんか。

信じられませんでした。
私に花を見せるために、ずっと3カ月もつぼみのまま、花が開かないように我慢していたと言う事なのでしょうか。

私が到着したまさにその夜、月下美人はそれは美しい、大きな花を咲かせて私を驚かせてくれました。
その白い花と、むせかえるほどの香りに私は何故か涙が止まらなかった事を今でもよく覚えています。

今でもその月下美人は友人の家にあります。
あれから10年以上も経っているので、すっかり大きくなっているのですが、友人の話によると、あの夜に開いた花を最後に二度と花を咲かせなくなったのだそうです。

書いているだけで、また泣けてくるではありませんか~~。

  • 2010年03月18日(木)07時52分

アンダルシアの修理の法則。

コルドバのこの家に住み始めて3年になります。

築100年ですが、スペインでは全然珍しくありません。
ピアノが置いてある部屋から見える景色は特に気に入っています。
まず、ローマ神殿の柱がゴロゴロ転がっている遺跡が真下に見えて、その向こうは下り坂でコルドバの街の東側が広がり、そのさらに向こう側にはなだらかなオリーブ畑の地平線が見えます。

・・ここまで書くと、素晴らしい家のような感じなのですが・・・大変な事もあります。

先日、暴風大雨警報出た夜。
築100年なら、窓も100年もの。滅多に雨が降らない地方なので、今まで気がつかなかったのですが、雨がそのまま風と一緒に家にも降ってくるのです。
「わ~、キューバみたい♡」
なんて言っている場合ではありません。
その日は雨が止む朝4時まで水かきでした。

翌朝は管理人さん、イシドロに連絡して今すぐに修理してほしいとお願いしました。

ここからが本題です。

まず、修理にやってきてくれたのは、約束した朝9時を軽く通りこして、午後1時半。しかも、1日遅れ(28時間半遅刻)。

やっと修理が始まったと思ったら、ネジが一本足りないので、近所の店で買ってくると行って家を出て行って、戻ってきたのは2時間後。しかも酒臭くなって。

何とか修理が終わって、問題の窓の隙間はなくなりました。
そしたら、今度は鍵がかからないのです。


アンダルシアの修理の法則―。

「修理をすると、その個所は治るけど、別な個所が新たに壊れる」
です。

  • 2010年03月13日(土)18時56分

フラメンコ。

夕べは家から歩いて30秒の場所にあるバルに1杯だけワインを飲もうと思って行ったら、そのままズルズルと朝3時まで居座ってしまいました。

私の横で白ワインを飲んでいたお爺さんが歌-フラメンコを歌い始めたのです。
これが、本当っっに上手い。

コルドバに住んでいていつも思うのは、フラメンコと言うのは皆にとって「踊り」と言うよりは、「歌」です。
更に思うのは「歌」と言うよりは「詩」です。

昔から古く伝わる愛や仕事や風景などの詩を音楽にのせて朗読する、あるいは吟遊詩人のように、その場で即興でどんどん作詞しながら歌っていく・・・そんな存在です。
なので、フラメンコのコンサートと言えばほとんどが歌とギターだけで、お客さんは歌い手が次はどんな言葉を言うのか、どんなヒネリを聞かせてその言葉を表現するのか、身をのり出して聞き入ります。そして、言葉が心に響くと、「オレー!」と行って賛同の掛声が響き渡ります。

さて、このお爺さん。
ト音記号もヘ音記号もドレミの楽譜も見たこともないのに、信じられないほどの完璧な絶対音感があって、彼が歌うと詩の全ての単語がまるで生き物のように動き出すのです。
そして、歌う時に顔いっぱいに出来るシワの中に最高の笑みが輝いていて、何ていい顔なんだろうと惚れ惚れして聞きいってしまいました。

バルにはいつもの常連さんが5人いて、皆がお互いにワインを注ぎあうので、私もついつい断れず飲み続け・・・・いや、やっぱり、ワインのないフラメンコなんて、寂しすぎるじゃありませんか。

案の定、午前3時に家に戻った時には相当出来上がってしまっていたのでした。そして、二日酔いのイヤーな予感をかすかに体で感じつつ、床についたのでした。ああ、またやってしまった・・・。

それにしても、歌があんな風に歌えるって素敵だなあ。

  • 2010年03月11日(木)07時47分

日記。

皆さんは、悲しい時や苦しい時、どうしますか?

その時によって心の状態は違うけれど、鉛筆で文章を書きながら自分と話をすること・・・これは結構好きです(それどころじゃないくらい苦しい時もありますけど)。

今思えば、私の場合は苦しい事がある度に、想像もしていなかった方向に向かって突拍子もない勢いにのって決断をしてきたような気がします。

スペインに来たのも、キューバに行ったのも、作曲を始めたのも、放浪の旅をしたのも、そして大好きな人々と出逢えたのも、・・・全て、この苦しい思いがあったからに違いないと信じています。

普段はこんなこと、全然考えないのに今日は一日色んな事を考えてしまいました。
沢山泣いたけど、それが今思えば新しい出逢いや、勇気をもたらしてくれたんだな、と。

-大学の時、親友だと信じて多く夢を共に語り合った友達が、突然遠くへ行ってしまった時。

-大好きだった人が、実は他にも同時に彼女がいた事を知った時(これは辛かったな~)。

-学校で意地悪された時。

-猛練習したのに、本番でボロピーになった時(バッハの曲がエンドレスになることほど、幾何学的に恐ろしい現象はありません)。

-約束をしたのに、放っておかれてしまった時(最近何故か良くあるなーー)。

-スーパーの買い物のレジで40分も待たされる時(コルドバでは日常茶飯事)。

-ドイツで来る日も来る日も分厚い雲に覆われて全然太陽が見えない寒い冬が5カ月も続いた時(これでスペインに行こうと思ったのでした)。

-ピアノのレッスンで先生に木端微塵、ボロミソにされる時。

-まるで音楽の仕事が無くて、物凄く貧しかった事・・・。


私にとっては日記は、書いたら完了するものらしくて、ほとんど読み返す事がありません。
・・と言うか、読んだらネガティブの渦に巻き込まれそうで・・。

皆さんはどうですか?

今日はちょっと暗めの川上でした。

  • 2010年03月09日(火)07時59分

霊能者。

数年前にボリビアに公演に行った時に、サンタクルスという街でマーティンと言う面白い青年に出逢いました。

マーティンは「霊能者」としてボリビアでは知られた存在で、カウンセリングや執筆・公演活動、また警察と協力して行方不明捜査などをしていました。
スイス生まれで、裕福に育ったマーティンでしたが、アマゾンに墜落した民間機の居場所を言い当てて以来、霊能者として一気に知られるようになり、人気が出るほど世界中から問い合わせが殺到して、郵便受けには行方不明捜索や、恋愛相談の為の写真が山のように送られてくるのに困り果ててしまい、結局目をしのんで、静かなボリビアの美しいに一人で暮らしていました。

このマーティンと初めて食事をしに行った時の驚きは今でも忘れることができません。
彼が知らない筈の私の色々な過去の出来事を全部言い当てるのです。それも、色や服装、全てに於いてまるで絵を見ているかのように具体的に。
丁度その頃、私は母と生まれて初めての大喧嘩(?)をしている最中で、超強烈な母から
「勘当!破門~~!二度と家の門をくぐるなーーーーーー!!!」
と言い渡されて途方に暮れている時期でもありました。
それもマーティンはズバリ。
「コミュニケーションを取らないと言う事ほど、悪い「コミュニケーション」はない」
と言われて、納得した思い出があります。

そんなマーティンとはお互いドイツ語で話ができるという事もあって仲良しになって、今でもよくメールを書いています。

先日、「スペインのテレビに出演するからマドリッドに来ているんだ」という連絡がマーティンからありました。
久しぶりなので、私もマドリッドに用事があった事もあり一緒に食事をすることにしました。

それにしても、こういう人と一緒に食事をするのは結構面白いものです。何も話さなくても、かなりの事が相手にはバレているらしく、時々フッと笑みを浮かべたりするので、どうもこちらは落ち着かないのです。
それでも、数年会っていなかった分の貯まった話に花が咲きました。

そんな私達の横を、乳母車を押したお母さんが通りかかりました。
それを見たマーティンは
「うわあ、可愛い!来年、この乳母車の子の妹になって生まれてくる女の子が、指をくわえて子供を横でみてるよ~ホラねっ!」

ホラねっ、て言われても・・・。

  • 2010年03月07日(日)01時01分

モダンスペイン料理。

NUEVA COCINA。
最近スペインで注目されている現代創作料理の世界があります。レストラン「エル・ブジ」の料理長、フェレール・アドリアでも知られるようになりました。

美味しいのか美味しくないのか・・・賛否両論、食べた人の数だけ意見が分かれる料理でもあります。
スペインの食材だけではなく、山葵や山椒など日本やアジアの風味も大胆に組み合わせるので、山葵をよく知っている私達日本人には不思議な味だと思う事もあります。
この系統のレストランの厨房を見せてもらうと、液体窒素や化学実験に使う機材がズラっと並んでいて、キッチンと言うよりはむしろ化学実験室。それらを使って食材が持つ新しい可能性を探し続ける若い革命派的シェフたちが燃えています。

そんなレストランの一つを訪れる機会がありました。
ミシュランの星も沢山付いていて、あまりにも有名なレストランなので「レストラン・M」と呼びたいと思います。

次から次へと様々な皿が出てくるので、全部は書ききれませんが、

高音にした粘土質の土で包み焼きしたジャガイモ。
脱水したスイカのカルパッチョ。
泡で出来たオムレツ。
丸ごと液体窒素に入れて冷凍・乾燥させたビーツ。
26時間、125度で焼いた生まれたてのイベリコ豚の丸焼き。
一玉ずつ味の違う白玉で出来たニョッキと醤油味のスープ。
泡のチョコレート。

お給仕さんの説明の長いのが辛かったですけど、どれも「美味しい~!!」という料理というよりは「なんだこりゃ!?」という料理です。
音楽で良くと、前衛音楽やジョン・ケージの曲を聞いている感じでしょうか・・。

いやいや。私も全てのモダンスペイン料理を食べつくした訳ではないので、まだまだ奥が深いのは間違いなしです。

元気とお金がある人には間違い無くおススメな料理です。

私の場合は、日本からこの料理を食べに来てくれた友人達とレストラン「M」を後にして、ホテルに戻り、休憩して、それから気を取り戻して元気に下町のバル街にタパスを食べにいったのでした・・・。

  • 2010年03月04日(木)08時15分

氾濫です。

グアダルキビル川がとうとう決壊しました。

それにしてもよく雨が降りました。
乾燥したアンダルシアにとって雨は恵みの雨であり、珍しい雨であり・・・普段の16倍の水量に達して氾濫した川を見に集まった人で一杯のローマ橋はまさにお祭り騒ぎ。
皆お仕事も学校もそっちのけで、路上ミュージシャンは一杯、出店まで出る賑わいです。
水流で橋が流されるか、乗っかってる人の重さで橋が流されるかのどっちかが起こりそうです。

深刻に大変な人もいます。
コルドバ郊外の西側にある住宅地は完全に水浸し、半分以上の家が水没してしまいました。

人間は全員無事なのですが、救助を要しているのは、家畜たち。
ヤギは比較的救助が簡単です。持ち具合の丁度良いツノが2本もついているので、これで引き上げるとなかなか簡単に引き上がるようです。
ツノがあっても難しいのは牛。大きすぎです。
何ともつかみようがないのは豚で、泳げないし、重いしで消防隊も四苦八苦していました。

動物も大変です・・・。

  • 2010年02月26日(金)23時59分

伊勢海老とロブスター。

伊勢海老とロブスターの違い。皆さんはご存知ですか?「字が違う」とかはダメですよ。

最近、スペインのとある料理雑誌に文章を掲載しているのですが、今月号のお題が「ロブスター、伊勢海老」。
何となくサイズも色も料理方法も似ているので、深く考えていませんでしたが、色々調べてみて驚きました。
ロブスターはザリガニの仲間で、伊勢海老はエビの仲間。似てそうで、全然違う種類なのです。
ロブスターは太くて大きなグローブみたいなハサミがあるけど、伊勢海老には長いヒゲがついていて、ハサミは無し。
伊勢海老の頭部はイガイガのゴツゴツ、ロブスターの頭は結構ツルツルさっぱり。

「スペインではパエリアや煮込み料理に使いますが、日本はどうですか?」について書くよう編集長から依頼されているのですが、この手の一般的な質問は本当に恐ろしいです。
生・焼・炙・蒸・煮・炊・揚・・・日本全国津々浦々、所変われば味も調理法も全然変わるし、なんでもありすぎで、2ページじゃとてもおさまらないよ~。


今まで食べた一番美味しかったロブスターと言えば・・・キューバの誰もいない寂れた海岸のレストランで食べたロブスターです。

掘立て小屋のような小さく質素なレストラン。
ウェイターさんに注文したら、そのままTシャツを脱いで海にロブスターを探しに行ったきり、40分、誰もいないレストランで一人寂しく待つ私・・・。
空腹も頂点に達した頃、見事なロブスターを片手に満面の笑顔でウェイターさんは海から戻ってきました。そして一言。
「これから火を起こすから、燃やす薪木を探すのを手伝ってくださいね。」

椰子の木しか生えていない海岸で薪木なんて簡単に見つかるわけもなく、何とか燃えそうなものをかき集めて、火を起こして、元気なロブスターをそのまま焚火の中に入れて、この段階で更に数時間が経過。
そしてついに、ロブスターが焼き上がったのです。
甘味があって、プリプリした触感の忘れられない美味しさ・・あのレストラン、今でもあるのかな・・。

「真っ青で透明な海の中をロブスターを探しながら泳ぎ続けるウェイターさん」を待ちながら、「静かに寄せて引くカリブの波と風の風景」を「空腹と闘いながら作曲した」一曲があります。これを、先日ライブで解説しながら演奏したら、お客さんがメチャクチャ笑ってくれました・・。

  • 2010年02月26日(金)00時04分

この世の中で一番綺麗な音。

この世界で最も美しくて、好きな音は何か、と聞かれたらみなさんは何と答えますか?

私は「雷」の音です。

雷の音ほど、美しい音はないと思います。

キューバが好きだったのは、しょっちゅう雷の音が聞けたからなのかもしれません。

それから、南米コロンビアのメデジン市。この街の雷は素晴らしかったです。
毎日、午後になると夕立ちがやってきて爆発的な雷音が空一面を轟かせ、その音を聴きながらコーヒーを飲む時間ほど素敵な瞬間はないと思いました。
不思議な事に、雷が響く時に曲が思い浮かんだり、行き詰っていたメロディーの先が急に見えたり、新しいアイデアが生まれたりします。

そういえば、9月の猛烈な暑さが夕立ちとなって雷がバリバリに鳴り響く中で私が生まれたのだと、母から聞いたことがありました。
雷が聴きたいあまり、急いで出てきちゃったのかな・・。

  • 2010年02月24日(水)00時21分

「セレブ」な知人。

東京の都心で驚くほどゴージャスで華やかに暮らしている外国人の知り合いが結構います。

六本木や麻布、表参道などで普通に払ったら月200万円くらいする家賃の大豪邸に暮らしていて、本国やフィリピンから住み込みのお手伝いさんも連れてきている人がほとんどです。

その中で一人、マリアという友達がいます。
ご主人の仕事の関係で世界中の首都に数年ごとに転勤があって、その度にその国の首都にある一等地の最高級住居に暮らし、2人の子供からお手伝いさんから犬から家具から全部一緒に移動しながら贅沢な暮しをしています。数年前、東京に引っ越してきました。

「セレブ」という言葉の意味合いを日本流に、金持ち・高級・優雅と解釈するとすれば、このマリアの暮らしはまさにそんな感じです。

もともとはごく普通の家庭の生まれで、大学まで進学して、就職活動をしている時に今のご主人に出逢って以来ずっと専業主婦のマリアは、二人の子供の母親として家族を支えてきていました。
今まで暮らした様々な国の言葉を堪能とまでは言えないものも、少しずつ話し、会話のテーマは豊富で話も上手。美人でスタイルも抜群で、パーティードレスと靴だけで一部屋が埋まるほどの数を持っていて、料理もお掃除も家事一切はお手伝いさん任せ。エステと美容に関しては物凄い情報を持っていて、表参道まで歩いて10分くらいのショッピングも全て運転手つきの高級車。
でも人懐こくて優しくて、本当に人情味のある素敵な女性です。

そんなある日、ビックリするような事が起こりましした。
ちょっとしたきっかけから、マリアのご主人の浮気が発覚したのです。

事実を知った彼女のショックは言葉では表わせない程のものでした。
私も何度も話をしに行って、慰めて、なだめて・・・でも彼女の怒りと屈辱はどうしたっておさまりません。

とうとう二人は離婚することになってしまいました。
ご主人はほんの気の迷いだった、申し訳ない、と言うのですが、彼女のプライドが絶対に許せないと言うのです。

こうなると、一つのバランスを失うと物事はこんなにもバラバラに崩れて行くのかと思うほど、何から何までがもうボロボロ。
子供たちのショックも大変なものだし、フィリピンからやってきたお手伝いさんはオロオロ、犬はストレスでどんどん丸くなっていくし、終いに叱責し続ける彼女に逆ギレしたご主人は浮気の彼女と一緒に暮らすと言い始める始末です。

結局はマリア自身が自分の道を決めるしかないと言う事で、私も様子を見守ることにしました。

それから彼女は東京を避けるように友人が住む様々な国・・南太平洋、南米、香港などに旅行に行ってゆっくりバカンスを過ごして東京に戻ってきました。

世界中に散らばる"ホンモノ"の「セレブ」の友達に会って帰ってきた彼女は、
「もっと優しくてお金持ちで外交的で子煩悩で私に優しくて浮気なんか絶対にしない忠実な男性こそが私には必要だと言う事が良くわかったわ。久しぶりに色々な友人に会って、彼女達の優雅で幸せそうな暮らしぶりを見て自分はまだまだだと悟ったの。今までの夫の事はきっぱりと諦めて、自分にあった仕事を見つけて、そこで本当の自分の運命のパートナーを探すわ。」
さっぱりとこう話すのでした。

あれから3年・・・。
離婚が成立して独り者となった彼女は今の所まだ彼氏ナシ&失業者。

二人の子供は現実を受け入れてそれぞれの道を目指して進学し、元ご主人は浮気相手の彼女と婚約。
料理が得意で家事に熱心な婚約者のお陰で犬はまた元通りに元気になりましたが、仕事が無くなってしまったフィリピンからやって来ていたお手伝いさんは解雇。

ところが、そんなある日。

解雇された働き者のフィリピン人の彼女を教会で見染めたイギリス人の男性が彼女にプロポーズを申し込んだのです。
この初老の男性、とんでもない億万長者で、行く先が無くて困り果てていたお手伝さんは一気に専属のメイドさんと運転手と料理人まで付く「超セレブ」になったのでした。

先日マリアから久しぶりに電話がありました。
「ちょっと、ミネ!未だに良い出逢いが無いんだけど、私、なにか間違ってる!?」

「セレブ」って一体何なんだろうと考える今日この頃でした。

  • 2010年02月21日(日)20時30分

パエリア。

今日は友人の家の庭でパエリアパーティがありました。

パーティと言っても特別な感じではなくて、大体温かい季節の週末は誰かの家でパエリアやバーベキュー大会が開かれます。

パエリアと一言で言っても、場所や家や季節によってレシピは様々で、中に入る具もその地方や産地によってまるで違うのがパエリアの良いところです。

今日のパエリアの具は、庭で摘んだアスパラと鶏肉一羽・トマト・アーティチョーク・赤ピーマンとマッシュルーム。

作り方は、解体された鶏一羽分の肉(モモ、胸、ささみ、手羽、レバー、心臓)を弱火で別々に香ばしく炒めて、別な皿にとります。赤ピーマン、トマト、にんにくを1時間ほど炒めて、サフラン・水・ワイン・ビール、肉、アーティチョーク、マッシュルーム、アスパラ、塩を入れて沸騰させ、お米を十字架に切ってふり入れて20分炊いて火を止め、布で覆って5分蒸らす・・・こんな感じです。

完成するまでに2時間くらいかかるのですが、パエリアが出来上がるまでの過程そのものが「パエリア」。皆で持ち寄った自家製のチョリソやチーズ、オリーブの塩漬け、サラダなどをつまみながらの話がはずみます。
お米が炊ける頃、庭のレモンの木から2・3個レモンをもぎ取って、しぼり汁をかけたら出来上がり。
食べ方がまた素晴らしいです。

右手にはスプーン。
左手には赤ワイン。

パエリア鍋を全員で丸く囲んで直スプーンで食べるのです。
いつまでも熱いまま、自分が好きな野菜や具を探しながらワイワイ食べる・・・これが今日のパエリアでした。

ただパエリアには一つ共通して切実な問題があります。
どのレシピにしても、スペイン人が作るパエリアは食べ過ぎて死ぬほど苦しくなる可能性が高いのです。日本人にはお米をたっぷりの油で炊く習慣がないからか、どうもタダゴトじゃないお腹の膨れ方になるのです。
なので皆さんも、スペインに旅行で来てパエリアを食べる時は、どんなに美味しくてもその後も楽しい旅を続けるために、腹4分目くらいで諦めることをお勧めします。

  • 2010年02月21日(日)03時27分

ワンコのさんぽ。

ここのところ毎日、午後3~4時頃にワンコの散歩に行っています。
・・・厳密にいえば、ワンコの散歩と言うよりは、私の散歩に付き合わされているワンコと言う状況かもしれませんが。

この時間帯はなかなか良くて、一日で最も静かな時間帯です。お店もデパート以外は全部昼休みで5時まで閉まっているし、人々はお昼ご飯中かシエスタ中で、街中はひっそりと静まり返ります。

そんな静かな街中をワンコと一緒に1時間ほど毎日コースを変えて歩きます。
そんな時間でも、観光名所になっているメスキータのあるユダヤ人地区だけは、いつも人で一杯。
犬を連れて歩くと良く人に道を聞かれたり、写真を取って欲しいといわれます。

観光で来ている人の姿を見るのは私は大好き。
いつもこの時間になると、ピアノと音に行き詰って発狂しそうになりながら脱獄するみたいに家を飛び出し、部屋着のままコートだけ着て、ズタズタの格好でボロボロの犬と散歩に出ます。

所がこのユダヤ人地区に来ると・・・アンダルシア外からやってくる若いスペイン人カップルや、ドイツやフランスからやってくる老夫婦など、皆ちょっと日頃よりお洒落をして、日常とは違う贅沢を優雅に楽しんでいるのです。
この姿を見ると、相当な気分転換になり、私までなんだか優雅な気持ちになって、気分をとりなおし、ワンコのウンコを拾って家に着く頃には・・・
また気を取り直してピアノに向かうのでした。

  • 2010年02月17日(水)01時12分

募金のチカラ。

ハイチで大地震が起こって以来、毎日スペインでもニュースで復興状況や現状が伝えられています。

スペインで凄いなといつも思うのが、こういう非常事態に寄付金を集める作戦力です。

チャリティーコンサート、チャリティーオークションならまだ普通ですが、チャリティーディナー、チャリティーカフェ、チャリティー映画、チャリティー朝食、チャリティー宴会・・・
コルドバでも、「バルでコーヒーを一杯注文すると、その数割が寄付されます」という看板を出すお店が随分あります。
普通のスーパーマーケットのレジにも「ハイチ・チャリティーカード 5ユーロ」なるものがあって、これを買い物かごに入れてレジに持って行く人も良く見かけます。
そういえばここの所、街でのドンチャン騒ぎが一層賑やかで、我が家の隣に住む学生達も毎晩のように
「今晩もハイチパーティがあるから行かなくちゃ!」
と、元気に宴会に繰り出しています。

一日も早く復興が進んでハイチに一人でも多くの笑顔が戻ることを願わない日はありません。

  • 2010年02月16日(火)01時23分

ベルメスの顔。

北アンダルシアのハエン地方にベルメスという小さな村があります。
その村に一軒とても有名な民家があります。

農民のマリア・ゴメスさんが生まれ育った家の台所の床に1971年のある日、「ウソでしょ」と言うくらい見事な人の顔がまるで描かれたかのようにクッキリ浮かび上がったのが事の始まりでした。
始めは、マリア・ゴメスさんも村の人々も床の湿気が描いた偶然のシミが原因だと思って、強力な洗剤で磨いてみたり、カビとりをしてみたのですが、変化は全くナシ。
どう見ても「何となく顔・・?」じゃなくて「絶対、顔!」というくらい顔なので、さすがに気持ちわるいと言う事で、床を削って新しいコンクリートを流し込んで綺麗さっぱり真っ白にしたそうです。
私も実際写真で見たのですが、笑えるくらい「顔」です。写実的な顔と言うよりは、まるで中世かローマ時代の教会の絵画のような雰囲気です。

工事が終わってそれからしばらくしたら、今度はその「顔」が仲間まで連れて、その新しい床に山盛りの顔となってバッチリ戻ってきたのだそうです。
この写真も見たのですが、これまた顔だらけでビックリします。それも、結構綺麗な女性が一杯・・。

話は村を越えてスペイン中で大騒ぎとなり、色々な研究機関や心霊学者などが原因を突き止めようと色々検証をしたそうですが、その原因は分からなかったそうです。

とうとうその台所を掘り起こそうと言う事になって、何メートルも掘ってみると・・・やっぱり。15世紀のお墓と一緒に人の骨が沢山埋まっていたのだそうです。

凄いのが、マリア・ゴメスさん。それでも掘り起こしたお骨を供養して、床を埋め直して、台所にもどして、2004年に84歳で亡くなるまでこの家で普通に暮らしたのだそうです。

村人の提案で、村おこしにこの家をミュージアムにしようじゃないか、という話が上がったそうですが、その日以来村中でポルターガイスト現象が起こって大変な事になり、結局その提案は廃案に。

この「たくさんの顔」の凄い所は、その顔が変化する事です。悲しい顔になったり、わらったり、場所が少しずつ移動したり・・。
マリア・ゴメスさんが亡くなった後、ひょっとしたらマリア・ゴメスさんの顔もこの床に出てくるんじゃないかと、息子さん達はちょっと楽しみにしていたみたいですが、どうも彼女は出てこなかったのだそうです(嬉しいようなコワイような)。

ちょっと前に坂本龍一教授がスペインで演奏会をした街がこのベルメス村の近くで、私は時間が無くて行けなかったのですが、予定より早く会場に着いた私のマネージャーのヘマちゃんがご主人と一緒にその「顔」を見に行って、帰ってきました。
「それがね、その内の一人と目が合っちゃったのよーー」
ヘマちゃんはそう言って、写真を見せてくれました。沢山の幽霊の顔とその横で青ざめてほほ笑むヘマちゃんの顔・・・。

スペイン人は幽霊話が結構大好きです。真面目な新聞にもしょっちゅうお化け話が真剣に載っていたりして、ちょっと日本のような所があります。

BELMEZ(ベルメス)。スペイン旅行に来ていて、お時間と勇気のある方は是非見に行ってください。
行き方は簡単。ベルメス村に行って、
「顔の家はどこですか?」
と聞けば誰でも知っていると言う事です。今はマリア・ゴメスさんの息子さん達が普通に住んでいて、いつでもお家に入れてくれるそうです。

  • 2010年02月14日(日)03時15分

今日は雨。

今年のアンダルシアの冬は本当に雨が多いです。

学生時代、ドイツに6年間暮らした時、太陽と雲と雨の存在ほど毎日の自分に影響するものはないと心から思った事があります。

手先が冷たくなるような春先の気温の中、陽の光がさすと急いでカフェテラスに出てカプチーノやビールを飲む人々、バカンスはたっぷり時間をとって太陽が燦々と輝く場所へ向かい、晴れた日の夏のイギリス庭園に行けば、どこから湧いて出てきたかと思うほどの学生やサラリーマンが授業をサボって、休憩時間を活用して公園の芝生の上に全裸になって全身の端々まで体を陽に干すのです。
一瞬であれ、太陽を求めながら行動する事がライフワークの一つだったドイツ的な生活にある日終止符を打って、15年前、スペインにやってきた日に見た太陽。忘れることができません。

昨日も明日も、明後日も、来週も、来月もずっと晴。
心配しなくても、今急いでカフェテラスに行ってカプチーノを飲まなくても、ずっと晴。

この安心感が生活の根本に及ぼす影響は本当に大きいと思うのです。
ドイツの学生時代に書いた日記を読むと、「生きるって何だろう 私って誰?」的な、自分探しのような文章ばかりなのに、その直後、スペインの大学院に行った時の日記を読むと「今日食べたタパス」となるこの違いは一体・・・。

コルドバで珍しい雨が降り続くと・・不思議と普段作動していない脳のどこかのスイッチがオンになって、珍しく武満徹の音楽を聴いてみようなんて言うキモチになってしまうのは・・・なんなんだこりゃ。

  • 2010年02月12日(金)21時18分
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