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ガリシア・サンティアゴ巡礼の道コンサートツアー前半戦から戻りました。

嵐のようなコンサートがとりあえず2つ、無事に終わり、夕べコルドバに戻りました。

初日はポルトガルの国境に近い街、ポンテヴェドラでの野外コンサート。
コルドバから高速鉄道でマドリッドまで行って、そこからサンティアゴ・デ・コンポステーラ空港に向かい、そこからさらに鉄道で1時間という所にある古い港町です。

ポンテヴェドラ。スペインの極北西部に位置し、リアス式海岸にあるこの街。驚くほど美しいです。
ローマ時代と中世の面影がそのまま現代につながったような、まるでタイムワープをしたかのような街並みで、石畳で敷き詰められた小路には数え切れないほどのレストランが出すテーブルと地元料理に舌鼓を打つ人でとにかく物凄い賑いなのです。

この街の中心にあるテウクロ広場に特設ステージを建ててのコンサート。1200人以上の人で会場は一杯になり、さらに一曲弾くごとに人が増えて行くので、最初は本当に正直どうなるかと思いましたが・・・何とかなるものです。
休憩なしの1時間半という長い演奏時間にもかかわらず、始終静かで物音もしない程のお客さんの集中力に私の方が驚いてしまいました。

今回は、巡礼の道コンサートツアー用に作った曲を演奏しているのですが、最後の曲として、「リアンシェイラ」という、誰もが知っているガリシアの歌の変奏曲をプログラムに入れました。
伝統的なメロディーが、バロック的→キューバサルサ的、ロマンチック的・・・と、どんどん展開するように編曲してみた曲なのですが、この曲を弾いたとたん、皆が立ちあがってくれて一緒に歌い、手拍子を打ってくれた時、思わず涙が込み上げてくる思いでした。

演奏会終了後に街を歩くと、沢山の人が声をかけてくれて、本当に温かい街でした。

それにしてもこの街。ゴハンが美味しいです。
リアス式海岸地帯にあるだけあって、タコ、カイ、お魚さん達の新鮮で豊富な事!!
ムール貝を地元でとれた白ワインで蒸した料理など、頬張った瞬間、これまた涙がでる思いでした。
翌朝、中央市場に行ってみたのですが、魚の種類の豊富な事、それも海藻が絡まって生きたままの魚やエビ、蟹、タコが山積みになっているではありませんか。ああ、ミネ包丁を持ってくればよかった・・と、またしても涙がでる思いだったのでした・・・。

皆さん。北スペインに行くなら、絶対ポンテヴェドラがおススメです。

  • 2010年08月16日(月)19時45分

清水寺舞台での演奏会。8月2日よりお申込受付開始いたします。

今年も10月2日に清水寺舞台でピアノを演奏します。
スペインと日本を繋げようと6年前の愛知万博の年に、スペイン大使館とスペイン館の協力によって始まった特別な祈りの夜です。
「スペインと日本の交流」をきっかけに、清水寺という素晴らしい祈りの場所で、世界へ何かを発信できたら・・・、これが当時の万博のスペイン館館長と話した言葉でした。

今はもうスペイン館はありませんが、今年も大使館の力添えを得て第6回目を開催することになりました。
今年は、スペインの巡礼の道の大祭年なので、清水寺舞台での演奏テーマは巡礼の道です。
皆さんを京都の「舞台」から、スペインの巡礼の道まで音を通してお連れできるよう、練りに練って曲を作っていますので、是非いらしてください。

夜の清水寺ほど贅沢な舞台は世界の何処にもないと思います。
そこには星や雲があって、虫の声が響き、森の風が吹き、京都の町が下に光の海のように輝きます。
私にとって、このコンサートは「リサイタル」と言うよりは、その素晴らしい舞台の一部分としての共演者なのだと思っています。

この夜のハーモニーが、日本とスペインと、そして国境を越えて大きな調和となって皆さんと過ごせる夜になればいいな、と思っています。


8月2日からインターネットかファックスでお申込みをしていただけるようになりました。詳しくはライブスケジュールのページhttp://www.minekawakami.com/schedule
をご覧ください。舞台はそれほど大きくない為、座席数が限られてしまいますので、早めにお申し込みをいただけると嬉しいです。

  • 2010年07月28日(水)20時00分

生きております。

すみません。全然更新できないまま時が過ぎてしまいました。川上、生きております。

先週から日本に戻ってきました。
久しぶりの日本の風景は田んぼの緑、山の緑、林の緑・・・緑だらけで、スペインでしばらく眠っていた緑に対する脳細胞が活性化した気がします。

そして、やっぱり夕立ちは素敵です。
雨も3カ月ぶりに見るので、体で感じる雨粒さえ感動してしまいますが、何と言っても雷の音。
世界でもっとも好きな音です。こんな美しい音は他には無いと思います。

スペインに戻るまでの後10日間。どうか夕立ちがいっぱい来ますように・・・・と真剣に神社で祈ってしまいました。

  • 2010年07月26日(月)09時48分

ペペ・レイナとゴルバチョフ。

ワールドカップのスペイン対オランダの決勝戦があったのがつい数日前とは思えないくらい、多くの事が起こり、終わり、生まれ始まったような数日が過ぎて行きます。

何と言っても、何をするにもワールドカップの影響は大きいです。
決勝戦の翌日。マドリッドへ打ち合わせに行く用があったのですが、全国から凱旋パレードを見にやってきた何万というサポーターの渦に地下鉄でもバスでも新幹線でも道端でも、とにかく果てしない人の渦に巻き込まれて録音スタジオに着く前に行き倒れるかと思うほどの盛り上がりようでした。

そして昨日、マドリッドからコルドバに帰る同じ新幹線に、スペイン代表のペペ・レイナ選手が故郷コルドバに帰るために偶然乗り合わせていたのです。
到着すると駅には全コルドバ市民が集結したのではないかと言うほどの人の海で、線路に落ちている人が本当にいました(ちゃんと自分達でよじ登って助かっていましたけど)。

それにしても、さすがスペイン代表選手となるとオーラが違うな、と思いました。
具体的なオーラが見えるわけではありませんが、他の人にはない「何か」がある事は間違いありません。
そこに、人々の喜びのエネルギーが重なるからなのか、彼の周辺もはじけるような強烈にポジティブな力を感じずには居られませんでした。

そういえば、そんなオーラと言うか、後光のさす人を今までに何人か見た事を思い出しました。
その中で忘れられない一人と言えば、ミュンヘンのオペラ劇場で目の前にバッタリ(と言うか何と言うかですが)現れたゴルバチョフ元書記長。

20年ほど昔の出来事でしたが、すっかり忘れていたゴルバチョフさんの事を思い出すとは、不思議なものだ・・もしかしたらペペ・レイナ選手と何か共通する衝撃的で霊的な何かがあるのでしょうか・・たしかに、二人とも頭がツルツルっと光っていると言う方面の共通点はありますけれど・・・。

スペイン人の友達に
「ペペ・レイナ選手には後光がさしている気がしない!?」
と訊いたら
「後光は見えないけど、頭の上に天使の輪が見える気がする」
と言っていました。

さすがキリスト教の国です。

  • 2010年07月15日(木)07時20分

生きてコルドバに戻りました。

とうとうレコーディングが終わりました。
まだマスタリングと曲順を決めるという最終作業が残っていますが、録音自体は何とか終了し、合計65分程で全10曲のアルバムとなりました。
日本では発売予定はまだ決まっていませんが、スペインでは8月にリリースされることになりました。

マドリッドの録音スタジオで4日間、ほとんど徹夜の作業だったので、だんだんピアノ音が聞き分けられなくなってきて、最後の一日は決勝戦で驚きの勝利を果たしたスペインチームを応援する街行くサポーターのブブセラの音がやたら爽やかに聞こえるほどでした・・。

今日のコルドバは朝から猛烈に暑くて、家の窓から見える道端の気温表示は只今午後6時前で「50度」。
オランダとの決勝戦の今日、街はどこか不思議な雰囲気が漂っています。

  • 2010年07月12日(月)00時38分

マドリッドに行ってきます。

とうとう明日からレコーディングが始まります。
「巡礼の道」のピアノソロアルバムで、全曲オリジナル、最後まで弾くと50分以上の山盛りの内容な上に、曲は音符が一杯で、楽譜はオタマジャクシの大集合で真っ黒け・・ホントにちゃんと弾けるか少々心配です・・。

でも、とにかくこれさえ終われば・・・嵐のようなピアノ漬の毎日から解放されて、宴会&料理三昧の毎日が待っている・・!!!
と言う希望の光をもってマドリッドに向かいたいと思います。

コルドバには4日後に戻る予定です。
それまではしばらく日記を書けませんが、戻ったらどんな事になったか報告します。

それでは行ってきます!

  • 2010年07月05日(月)05時04分

洗濯機の心。

数週間前から洗濯機の調子がおかしくなりました。
壊れるなら潔く壊れて欲しいのに、ある日は普通に機能し、ある日は半回転だけして適当に洗い、ある日は脱水で止まり・・どう追及しても壊れ具合の規則性を発見することができず、ついに先週友人に紹介してもらって
「コルドバで一番信頼できる修理屋さん」
と言う人に来てもらいました。
たしかにこの修理屋さん、コルドバ人とは思えない程時間通りに家にやってきました。
ところが、どう言うわけか洗濯機は何事もなかったかのように、おじさんの前では調子よく普通に回るではありませんか。どうやっても、何回繰り返しても・・・普通どおりに何事もなかったかのように回るのです。
今までの現象を説明すると、おじさんは
「洗濯機にも心はある」
とキッパリ言います。実は機械には意識する心があって、知らない人が来ると突然頑張って動くのだと言うのです。なんだか、面白いような、全然解決にならないような・・・。
絶好調にバンバン回る脱水機を見ながらおじさんは帰って行きました。
これはひょっとしたら本当に治ったのかも知れないぞ、と希望の光が見えて早速貯まった洗濯物を入れてスイッチオン!
するとどうでしょう。見事にフリーズするじゃねえかコラーッ!!!。

そんな訳で、結局買い替えることになりました。

何かが壊れ、何かを修理し、何かを解決するという事に置いて、そう簡単に物事が動かないのがスペインです(他にもそういう国は一杯ありますけど)。
その面倒さを思うと、壊れ、修理し、解決しなくてはならないような物事そのものを所有しないことが一番という考え方は常日頃、無意識に暮らす内に反映されているような気はします。
しかし。
洗濯機がないのは不便すぎます。

そして甦るのはキューバの生活・・・。
キューバでの生活では洗濯機なんてものはもちろんなく、水道水もなく、石鹸もなく、ドラム缶に貯まった雨水を大事に分割しながら「シャワー分」「食器洗い分」「洗濯分」と、雨水を大切に測りながら使っていた事を思い出します。
しかも、分割された「シャワー分」のお水は、更に「シャンプー分、すすぎ分、リンス分、洗顔分・・」と分割され、猛烈に頭を働かせながら水を使わないと、シャワーが完了しないのです。
もちろん、シャワーと言っても「シャワー」があるわけではなく、測られた分量の水が入ったバケツから、コップのように切った缶ですくいながら自分でかけるわけですが、これが停電の夜なんかだったりするとバケツの中にイモリなんかがしっかり入っていて、知らずに自分にかけちゃったりして、頭からイモリ君がずり落ちてくることも多々ありました。
手で洗濯をしてみると日頃思い出さない事まで思い出すものです。

そんな訳で洗濯オバサンとなってキューバの事を懐かしく思い出しながら数日が過ぎて行きました。
ただ、コルドバの良いところは、あまりにも乾燥しているので絞る必要なし、と言う事です。今週は毎日40度以上あるので滴るまま干しても30分でバリンバリンに乾きます。

そして、今日。ついにやってきました新しい洗濯機!!
なんという発明。なんという文明の利器。
これを作った人は世の女性をどれだけ自由の道へ解放したことかと、思わず回る洗濯機に向かって拍手してしまいました。

  • 2010年07月02日(金)22時56分

ニッポン、カッコよかったです!

何はともあれ、日本チームに盛大な拍手を送りたいとおもいます。素晴らしい思い出や夢を沢山くれたこと、本当にありがとう、と言いたいです。

昨日の試合が終わった後に、たまたま用事があって外出したのですが、10分で行って帰ってくるはずの用事が2時間以上かかってしまいました。
行きつけのバルの前に通りかかれば、私は普通に歩いているのに、従業員からお客さんから全員が出てきて
「そんなに気をおとすな」
と言って、一人ずつ両手を大きく広げて抱擁してくれるし、
ペットショップの前を通りかかればワンコの散歩仲間のご主人が出てきて
「日本は進化した!素晴らしい!」
と犬と一緒に慰めてくれるし、
電話はマドリッドからもマジョルカ島からもセビージャからもバルセロナからも、あっちこっちの友達からジャンジャンかかってくるしで・・・・

何だか余計に悲しくなるからやめてくれーー!・・と言いたくなるほどの慰めの嵐で、嬉しいようなもっと悲しいようなでした。

  • 2010年06月30日(水)23時52分

結婚式と城の住人。

昨日は一日、結婚式の余韻(というか食べ過ぎ)により動けず、日記が書けませんでした。

行ってきました。結婚式。
エレーナとマルセリーノという友達の結婚式で、招待客は250人。コルドバから10キロほど離れたお城での挙式でした。

「非常に伝統的」な式の流れはこんな感じです。

20:30 城に全員集合
21:00 役場の職員登場、中庭で挙式
21:30 シャンペンで乾杯
22:30 別な中庭で夕食開始
00:00 シャンペンで乾杯
01:30 夕食終了。別な中庭に移動、全員でワルツを踊る
02:00 踊りまくる
04:00 軽く夜食
04:30 踊りまくる
06:00 朝食
07:00 結婚式終わり

なんと元気な250人。
でも、色々な小さな所で「暑い街コルドバ」らしい素敵なおもてなしがありました。
例えば、挙式をする中庭に続く小道にはびっしりと摘みたてのミントの葉っぱが絨毯のように敷き詰められていて、その上を踏むと一足ごとに爽やかな香りが広がります。

食事はコルドバ市内が一望できる野外のテラスで、テーブルには花が沢山飾られて、何百というろうそくの甘い光と、夜11時をまわってもまだ明るい夕暮れの光、そして反対側には煌めくような満月が出て、最高のライティング。

前菜は、挙式直後のシャンペンと同時に生ハム切りマンが登場し、切りたての生ハムをつまみながら立っていただきます。コルドバ名物のオックステールのワイン煮込みをパイ生地で包んだもの、アーモンドやナッツを使ったアラブ風のパイ、片手でパクッと食べられるものが次から次へと運ばれてきます。
主菜は着席で、そこから300メートル程をお城の美しい庭を見ながら移動します。
最初のお皿が、アスパラ、エビ、ブドウ、ナッツが並べられたスープ皿に、白いガスパチョ(アーモンド、ニンニクなどで作る冷たいスープです)が注がれたもの。
次のお皿はうずらと干しブドウと甘い玉ねぎソース。
その次のお皿はサラダ。
その後のお皿は魚で、スズキと温野菜。
(・・このあたりから私は記憶が飛ぶほどお腹がいっぱいでしたが・・・)
最後は色々なベリーと、アイスクリーム、チョコレート、チーズケーキ、フルーツ・・・

その後、全員踊りまくったのは、少しでも消化してほしいという願いが多いにあったに違いありません。

午前4時頃には私も眠くて、ちょっとだけ中休みにこっそり抜け出してお城の反対側に行ってみました。
これが、子供の頃大好きだった「探検ごっこ」に近くて、面白かったのです。

実はこのお城の半分側はちゃんと城主さんが住んでいて、その人の持ち物らしい馬小屋のある中庭に着きました。馬は全部で34頭。どの馬も愛情たっぷりで育てられていて人懐こくて、私が近づくと顔を出して優しい目で挨拶してくれました。
そこからさらに先へ行くと、今度はプライベート闘牛場に遭遇。さらにその先を見ると、月明かりのなか放牧されている闘牛達がウヨウヨ。
こっちは行かない方が身の為だなと、引き返すと今度はオリーブ園、その次はオレンジ園、そして薔薇園とそれぞれ区切られた広大な園が続きます。
そして最後に着いた場所には城主さんらしき人がテレビでサッカーを見ている中庭でした。
そのテレビと言うのが、あり得ないくらい大きくて、テレビをプロジェクターに繋げて、城壁をそのままスクリーンにしているのです。スクリーンの幅は少なくとも20メートルありました。そして、その前に大きな揺り椅子に一人座っている城主さんらしき人の後ろ姿・・・。

なにもかもとてつもなく規模が大きくて、それらが全て満月の光に独特な輝きをもって浮かび上がっているのです。
私が見ているのは、本当に現実なのだろうか・・・もしかして、城主さんらしき人が私に気づいて振り返ったら顔がなかったりして・・・。と、どことなく恐ろしくなって、やや速足となって披露宴会場に戻り、友人たちの顔をみたらちょっとホッとしました。

なにはともあれ、コルドバの結婚式、強靭な胃と肝臓と体力と精神力が必要だと、一つ学んだのでした。

  • 2010年06月28日(月)18時30分

結婚式。

今日はこれから友達の結婚式に行く予定です。

コルドバ郊外にある古城での結婚式で、夜9時から結婚式、そして披露宴。
さて、どんな結婚になるのか・・・。

ウコンもしっかり飲んで、行ってきます。

  • 2010年06月27日(日)02時29分

泣きました。

日本、勝ちましたーー!!!!!!!!!!

サッカーがよくわからない私でさえ、泣きました。
あまりにも潔くて、カッコよくて、思いやりがあって、ハーモニーがあって、自分まで誇らしくなる幸せな時間でした。

面白かったのがスペイン語の実況中継。
「日本人、走る走る走る!なんてことでしょう!!ニッポンジン、どこまでも走り続けるのだった~~~!ホンダ、まるでモーターそのものです!!!!!」
ってな感じで、解説者も日本がこんなプレイをするとは予想していなかったようです。そんな意外さから解説者もどことなく日本びいきな解説。

そして観戦していたバルのおじさん達も全員、日本を応援してくれて、ゴールが決まった時には皆で手を上げて万歳したのでした。

嬉しかったのは、テレビの解説者の一人で元サッカー選手だっという有名なオジサン(誰が何なのやらよくわかりません。ごめんなさい)が試合終了後の解説で
「ワールドカップが始まって、今までで最も素晴らしいプレイをした国だった。」
とまで言わせたニッポン。ついでに
「スペインも、ここまで走り倒すだけの体力と謙虚さがあれば勝てる可能性はあるかもしれないが、全員があまりにもエゴイストでナルシストだからなぁ」
なんて解説をしていました。

努力こそが感動を産むんだなと、しみじみ感じました。
よって今日のピアノの練習は反省モードです・・・。

  • 2010年06月26日(土)00時59分

レコーディングとひまわり。

今週の予定だったニューアルバムのレコーディングが7月5日に延期となってしまいました。

その連絡をもらうまでは連日12時間以上、料理も外出もせずに朝も夜もピアノと格闘していたのですが、マネージャーのヘマちゃんから電話をもらった瞬間、プッツリと何かが切れるかのように今までのエンジンが切れて、電話を切って以来ピアノに戻るパワー無し状態です・・。

そういえば子供のころから試験も直前にならないと始められなかった性質はピアノにもそのまま繋がっているとあらためて思います。

話は変わりますが、今アンダルシアはヒマワリが満開です。
今年は天候不順でいつもよりも花が満開になるのが少し遅いのですが、雨が多かった分、いつもよりも育ちの良い綺麗なヒマワリが広がっているようです。

おかしなことに、日本人の私はヒマワリをみると桜のように感動するのに、ヒマワリ現地に住むアンダルシアの皆さんは恐ろしいほど無関心です。
「ヒマワリ=飼料」と言う事で、ヒマワリ自体が美しいと感じる部門に入っていないからのようです。
「この辺でおススメのヒマワリ畑ってどこ?」
と聞いても、ほとんどの人は知らないといいます。

一度、知り合いの男性が子供の時から夢だった
「地平線まで広がるヒマワリ畑」
を見に、仕事まで休んで、はるばる日本の田舎からやってきた事がありました。
家から夜行電車で成田空港に向かい、アムステルダム経由でマドリッドに到着して、そこから電車に乗ってマラガに行き、地方都市行きの鈍行電車に乗り、バスに乗り変え、最後はタクシーに乗って、とうとうヒマワリ畑に着いた!と思ったら、ヒマワリは地平線の彼方まで一本残らず全て反対側を向いていたのだそうです。

  • 2010年06月25日(金)00時58分

ミリー。

ミリーという友達がいます。

6年ほど前にスリランカを旅した時に宿泊したホテルで支配人として働いていたキューバ人女性で、その出逢いは少々衝撃的なものでした。

当時、アユルヴェーダに興味があって、そのトリートメントを受けながら宿泊できるという南スリランカにある療養ホテルに2週間滞在(というか入院)した時のことです。
とにかく徹底した毎日で、チェックインと同時に診察、体調の特徴や治療の目的を決めて、毎日2時間のマッサージ、ヨガ、薬草風呂、薬草浴、針、ウォーキング、瞑想・・などと、一日中自分の体や心と向かい合うように考えられた施設です。
広大な施設はジャングルの中にあって、宿泊棟や治療棟、レストラン、自然水のプール、畑などがあり、少し歩くと地元の漁師さんが沢山いる美しい海岸もありました。
テレビも携帯電話も禁止で、食事もほとんど調味料などを使わず、野菜や果物がもつ自らの甘さ、辛さ、苦さなどを感じながら食べるという非常に贅沢な環境でした。

ある日、ホテルの庭というかジャングルを一人で散歩していると、向こうから一人の女性が歩いてきました。その女性は時々ホテル内で見かける女性で、スリランカの民族衣装を着ていました。

挨拶をしようと、その女性と私が同時に言葉を発した瞬間が奇跡の始まりでした。

その挨拶の言葉は「ブエノスディアス」。

どう見ても日本人にしか見えない私に、そして、
スリランカ人だとばっかり思っていた彼女に、
スペイン語の挨拶が二人の口から勝手にそして同時に飛び出したのです。

その瞬間思わず、お互い手を取り合って大笑いしていました。
その日以来、想像もしていなかった楽しいスリランカの毎日が始まりました。
彼女の自宅にある古いピアノでミニコンサートをしたり、一緒に市場に行って料理をしたり、紅茶農園に行ったり、満月の夜の寺を歩いたり・・・。

彼女の名前はミリー。年は私より8つほど上でした。
その当時からして10年ほど前、キューバに国費留学生として滞在していたスリランカ人と大恋愛をしたミリーは、家族親戚一同の反対を押し切って、ハバナで婚約し、彼の卒業と同時に夫の故郷スリランカにお嫁にやってきたそうです。

ところが、スリランカでの生活は彼女の想像していたものとは全く違っていて、厳しい伝統やしきたり、考え方、一切スペイン語が通じない言葉の壁に当初は相当苦しんだそうです。
その中で、キューバ人の彼女にとって何が一番辛かったかと言うと、人前ではご主人とは並んで歩くことも、手を繋ぐこともできないほど男女の距離感があると言う事でした。

たしかに、この話には私も納得してしまいました。
キューバほど、ロマンチックな恋愛に対して日常の生活の中で重みを置く国はないと思うからです。何回も結婚と離婚を繰り返し、常に恋している民族、それがキューバ人です。
それにしても、ミリーのご主人が初めてキューバにやってきて、毎夜繰り広げられるサルサやソンで踊り明かす激しい夜を見た時には、どれほどの衝撃を受けたのだろうと、逆に私はそちらの方が気になったりしましたけれど・・。

そんなミリーもご主人と一緒にホテルの支配人夫婦として働くようになり、少しずつ彼女の生き方を見つけてきたのだそうです。
その間に3人の子供が生まれ、子供にだけは故郷キューバにいつでも帰れるようにと、両親が力を合わせて徹底的にスペイン語を教えているので、3人とも一度もキューバに行ったことはないのに、非常に見事なスペイン語をまるで母国語のように話していました。
でも、ラブラブなミリーとご主人が家の中で手を繋ぐと3人の子供たちはキャーキャー騒ぎながら真っ赤になって両手で目を覆っている所が何ともおかしくて、可愛くて、私も笑いが止まりませんでした。

スリランカに今年こそ行きたい、と毎年思いながらもとうとう何年も彼女に会えないまま年月が過ぎてしまいました。
でも、彼女とは今でもよくメールで文通をしています。


そして今日。
「ミリーの夫より」
という件名のメールが受信箱に入っていました何事かとあわててメールを開いてみると、
「妻の父親がハバナで倒れて、看病をしに妻はキューバに帰っています。」

「実は、その看病が終わって、彼女がスリランカに戻る来週、飛行機の乗り継ぎ地がマドリッドなので、彼女が是非あなたに会いたいと言っているので、マドリッドまで行ってあげてもらえないでしょうか?」
そんな内容のメールでした。

もちろん行くよ、ミリー!!!!!!

まさか、私がスリランカに行く前に彼女とスペインで会えるなんて、夢のようです。

しかし、夢も醒めるほど現実的なハナシですが、
キューバからスリランカに移動するのに、乗り継ぎがスペインと言うのは、飛行機に座っている時間は30時間以上で、地球をほとんど一周してるよなあ・・。と、ヘンな所で感心してしまいました。

  • 2010年06月24日(木)01時12分

サッカー。

サッカー観戦はこの国では、「怒りの儀式」に近い存在だと、昨日の試合を見ていて思いました。

キックオフの時間と同時に、大通りの車も歩行者天国の人々もどこかに吸い込まれるかのように姿を消します。そして、街全体に不思議なほど緊張したエネルギーがみなぎるのです。

試合は男性はバルに行って皆で見るという傾向が強くて、実際私が行ったバルには男性が30人くらいいて、女は私一人でした。
飲物も傾向が決まっていて、中年以上のオジサン達はコルドバ近辺のモンティーヤ産の白ワイン、若者はラムコークかビール。
バルによっては店内に国旗が並べられ、テレビの下には対戦国のユニフォームを着た人形にクギを打つか、首つり人形にしてぶら下げます。

皆は飲物を片手に、怒りながらテレビに向かってあれこれ叫ぶのですが、その言葉はほとんど呪文。それも日本語に訳して載せることはとても私にはできないほど強烈な意味合いの言葉のオンパレードです。
昨日の試合は対戦国ホンジュラスに対して2-0で勝ったものの、何となくスペインチームはボーっとしていて、相当数のシュートを放つものの、どれもとんでもない方向へボール飛んでいくたびに
「ヤギ!」
ならまだ可愛いものの、
「ホンジュラスの選手は月給1600ユーロの給料だが、スペインの選手は時給1600ユーロもらってるんだったら、その分働けー!」
とか、
「聖餅(教会のミサでもらう煎餅みたいなもんです)!」
「牛乳!!」
「マリア様のXXX!!!(翻訳不可能)」
・・・

日頃おとなしくて紳士的なオジサン達もこの時ばかりは血圧があがって倒れるんじゃないかと思うほど、真剣に怒りながら見るのですが、試合が終了すると、暴言を絶叫しまくったことによりどうもスッキリするらしく、それぞれが爽やかに帰って行くのでした。

サッカーは私にとってますます不思議な存在です。

  • 2010年06月22日(火)17時58分

徹夜フラメンコ。

夕べは凄い夜でした。
コルドバ市がスポンサーとなって毎年この時期に開催される
「フラメンコの白夜」
という一大イベントの一晩で、街中のいたるところに野外特設舞台が設けられて、何処へ行ってもフラメンコのコンサート!という日でした。
メインイベント的なコンサートは20ほどあって、エンリケ・モレンテ、ドランテス、カブレロ、ペレなど、実力も人気もあるフラメンコアーチストも沢山出演しています。
全ての演奏会は野外そして無料。誰でも好きな時に入って、好きな時に出て、お弁当を持ってこようがワインを飲もうが自由です。
複数のコンサートが出来るだけ重ならないように組んであるので、昼ごろから始まるものもあれば、一番遅いものとなると開演が「朝5時半」という可哀想なイベントもあります。
それでも街は人でいっぱい。どこのバルも超満員で、人々はバルとコンサートをハシゴしながら機嫌よく朝までフラメンコ漬となったのでした。

私もドランテスという大好きなフラメンコピアニストが来ていたので、その演奏会に行ってみました。場所はメスキータ前広場のパティオ。
開演時間は午前0時30分。
このドランテスというピアニストは、生粋のフラメンコ家系の出身で、クラシック音楽を専攻したという面白い経歴のアーチストで、基礎にクラシックとフラメンコがあって、そこから自由にラテン、ワールド、ジャズへと行き来する臨機応変ピアニストです。

ところがこのコンサート。
人・人・人で、ドランテスの姿は人に埋め尽くされてまるで見えず、ピアノの音も人々のおしゃべりでほとんど聞こえず。頑張って私も10分ほど耳を澄ましてみたのですが、ドランテスが盛り上がれば、人々のおしゃべり声も盛り上がり、どうにもこうにも聞こえないのです。
いっそのことパティオの椰子の木に登ろうかとも本気で思ったのですが、それはそれで警備が厳しく、15分で退散したのでした。
その後に行ってみた午前2時30分開演の別のコンサートも同じく、自由に出入りする人の動きとおしゃべりと叫び声と、人によってはフラメンコまで歌い出すしおどりだすしと言った状態で全く見れず聴けず・・・。
シッチャカメッチャカフラメンコ白夜なのでした。

不景気で閑散としたバルやレストランが昨日一晩だけで猛烈な売り上げを記録したという意味では、
「バル組合の人々には有難いイベントで、フラメンコをじっくり聞きたい人には泣きたくなるイベント」
だと言う事をそういえば去年、同じ時期に思ったことを思い出しながら家に戻ったのでした。
人をかき分けて、何とか家に戻ったのが午前4時でした。
そして、朝8時まで家の前で大騒ぎする賑やかな歌声と手拍子は続き、私にとってもホントの白夜となったのでした。

  • 2010年06月21日(月)06時54分

ワンコの手術による新発見。

愛犬ワサが手術を受けました。

大したことはないのですが、犬にも私にも初めての事だったので少々不安でもありましたが、朝9時半に獣医さんに連れて行って午後1時に迎えに行った時には元気なワサの姿があってホッとしました。
ホッとしたと同時に思わず笑ってしまったのがエリザベスカラー。
傷口を舐めないように頭にはめるプラスチックのメガホンみたいなものです。まるで朝顔のオバケのようになって檻に入ってるではありませんか。

応援メガホンをはめた我犬は、いつもは困るほど元気なのに、その日は別犬みたいに静かになって、日頃は見たことも無いような可愛らしいしぐさで私から離れない所がまた何とも笑えるではありませんか。

獣医さんに言われたとおりに家に戻って薬を与えて・・・と数日間メガホンも付けたままにしていたのですが、わずらわしくて嫌がるかなと思っていた所、意外な事に本人は結構気に入っているようなのです。散歩に行く時に外すと、
「着けてください」
と言わんばかりに、鼻をつっこんで自分からはめようとするのです。
しかも、メガホンを取ると普通のハチャメチャでうるさい犬に戻るのに、着けると上品で機嫌の良いまるで大人の犬となるのです。

このまま応援メガホンを着けたまま暮らして欲しいです・・・。

  • 2010年06月20日(日)00時48分

特別な日。

今日、6月17日は特別な日です。
何故かというと、43年前の今日、兄が亡くなった日だからです。
兄は私が生まれる前にドイツで生まれて亡くなったので、この世で出逢う事はありませんでした。兄は私の両親がドイツで暮らしていた時に生まれた子供で、私も幼かった頃、両親に連れられてボンにある兄の小さな大理石でできたお墓に行ったことを覚えています。

兄は私にとって、いつも近くに存在を感じるとても不思議な存在です。
きっと色々な出来事の時に私を守ってくれているのではないかといつも感じています。
実際、いくつかの危機に直面した時、本当に兄ではないか、という何かを感じた事があるほどです。

なので、一年に一度のこの日は私流の「ありがとうございます」宴会をします。
不思議な事に、今朝買い物に行った時には兄の事は意識していなかったつもりなのに、買ってきたものは普段まず買う事のないドイツのビールにドイツの黒パン。

て事は、やっぱり兄ちゃんもあの世でさぞかしの酒豪・・・!?

  • 2010年06月18日(金)06時36分

スペイン、スイスに敗れる。

試合が終わって4時間ほどが経つのですが、コルドバ・・・いや、スペイン全土に鬱の風が吹いています。

来週レコーディングさえなければ、私も近所のバルに観戦に行ったところなのですが、今日は仕方なくピアノを続ける道を選びました。
それにしても、試合が始まった午後3時から終わるまでの数時間、深夜より静かでした。
家の前は車は一台も通過せず、道端を行く人も皆無。
こんなに静かな環境で毎日ピアノが弾けたらもっと上手になってるかも・・などと思いながら、そのうち
「ゴーーーーーーーーール」
の叫び声が街中から聞こえてきたらテレビをつけようかな、と微妙に耳を澄ましながら練習をしていたのですが、ひっそりとしたまま終了時間。

青天の霹靂とも言わんばかりに愕然と静まり返ったコルドバの街。
ただ空は紺碧色で、灼熱の太陽が降り注ぐ白昼の通りの窓から寂しーくスペインの国旗だけがハタハタと揺れているのでした・・・。

話は微妙にそれますが、私は個人的にイニエスタのファンです。
どうしてイニエスタかと言うと、彼の生まれ故郷、フエンテアルビージャ村の公民館にイニエスタが町おこしにと寄付したグランドピアノのお披露目リサイタルをする為に村へ呼んでもらったからです。
サッカー選手なのに、ピアノを寄付する所が洒落ていると思いませんか。

演奏会の日、イニエスタには会えませんでしたが、イニエスタのおばあちゃんと仲良くなったので、サッカーにはめっぽう弱い私でもその日以来イニエスタ=サッカー大好きになったのでした。

イニエスタ頑張れー!そして、ニッポン、頑張れーー!!

  • 2010年06月17日(木)05時03分

星の海。

来週のレコーディングがどんどん迫ってくる中、一日中ピアノと格闘している間に日が暮れてしまいます(泣)。
でも今日、一つの曲がやっと出来上がりました。
「出来た」と言うよりは「全体像が見えてきた」と言う感じです。
巡礼の道を歩き始めたずっと前から構想はあった曲ですが、これがなかなかピアノに乗り移って(?)くれなくて、本当に長いこと泣き倒したテーマです。
テーマは、巡礼の道上にある、いくつかの教会の中にある古いローマ時代のマリア様です。

ローマ時代のマリア様の姿は、普通人が想像するマリア像とはちょっと違っていて、もっと神秘的で東洋的で、それでいてとても大きな包容力があります。
この空気をピアノに転写したくて、頑張って唸ってきたものが今日なんとか曲らしき形となって出来てきました。
曲の名前は、随分前から決まっていました。

「アヴェ マリス ステラ」

ラテン語を直訳すると「バンザイ、めでたしめでたし、星の海!」です。
「星の海」は聖母マリアの意味もあるので、昔から沢山の聖歌にも歌われてきた名前でもあります。

巡礼の道を歩いていた時、小さなローマ教会を見つけました。外は灼熱の太陽が照りつけて目が開けられない程の光なのですが、一度中に入るとそこには全く別の世界があって、しばらく目が慣れるまでは真っ暗で何も見えないほどでした。
シンプルで、何もない小さな教会の奥の祭壇に木で彫られたイエス・キリストを抱くマリア様がいました。
その目は、まるでインドか中近東の女性のような目で、逞しい眉毛があって、何百年と経つ時の流れに少しずつ色も落ちて虫も喰っている像なのですが、その温かさと静けさといったら、自分すらも姿を消して、私という意識が無くなるような何とも言えない神々しい空気がそこにありました。

「自分で曲を作る」と人は言いますが、私にはそれが「曲という生き物と出逢う」と言った方が近いような気がします。
出来上がるまで、一体どんな曲が姿を現すのか分からないのです。曲そのものが、別な形で既に存在しているもので、それをピアノに変換しているような・・・そんな気持ちになってしかたがありません。

アヴェ マリス ステラ。
曲となって出てきてくれたのはメチャクチャ嬉しいのですが、楽譜になったものをあらためてよく見ると、これがなかなか結構弾くのが難しいじゃありませんか・・・。
ああ、来週までに間に合うのか、どんどん心配になってきた・・・。

この曲、10月2日の清水寺舞台のリサイタルでも演奏しますので、よかったら聞きにきてください。

  • 2010年06月16日(水)06時28分

カルメン。

家から歩いて10分程の所にあるレストランでピアノ弾きをしている友人がいます。
彼女の名前はカルメン。キューバ人の60歳の女性です。

初めてこのレストランに行った時、奥から聞こえてくるピアノを聞いた瞬間に「あ!キューバ人だ!」と、ピーンときてしまいました。

キューバ出身の人が演奏するピアノの響きとリズムはとても独特なので、弾き方で大体分かることが多いのですが、このピアノの演奏をしている主のテクニック・曲想は本当に見事でした。コンサートホールで聞きたくなるほどの腕前なのです。
そのピアノのなる方へ行ってみると、鍵盤の前で背の低い小太な女性がチョコンと座って弾いていました。
次から次へと奏でられる素晴らしい音楽。ついつい惹き込まれてしばらく彼女の指元を見入っていたのですが、突然ピアノを弾く指を止めて彼女が私を指して言いました。
「あなた!チューチョ・バルデスとハバナで演奏会した日本からやってきた中国人ピアニストでしょ!」
・・・あたっているようなあたっていないような・・・。
1994年にハバナで日本・キューバ国交樹立100年記念特別イベントとして、キューバ人ピアニストのチューチョ・バルデスと2台のピアノで競演をしたことがあるのですが、この時の演奏会がキューバの国営放送で今でもたまに放送されているのだそうです。
著作権ゼロなキューバ、大好きです。

さて、キューバに行ったことがある人は経験があると思いますが、私達アジア人は全員
「チニータ(=中国人)」
という種類に分類されていて、どんなアジアの国からやってこようが東洋の顔をしている以上、女性は全員チニータと呼ばれます。
さらに、このチニータが日本からやってきたと言う事が判明すると、
「おちん」
と呼ばれます。
一時、キューバで大流行りして視聴率100パーセントを記録した日本のNHKドラマ「おしん」が放映されて以来、日本人女性の代名詞となってしまったのでした。そして、「し」が発音できないキューバの皆さんは、おしんを「おちん」と呼ぶのです。

余談が長くなりましたが、そんな訳でその日以来、カルメンと私はお互いの家を行き気するようになるほどの仲良しになりました。
料理が全く苦手なカルメンにキューバ料理を作って差し入れにいくと、こちらが幸せになるほど、それはそれは喜んでくれます。
また逆に私も、落ち込んだり行き詰ったりするとレストランに行って、カルメンのピアノを聞いて元気をもらっています。

私がキューバで学んだ沢山の事は今でも自分のピアノの根っこの部分にあって、日常の様々な出来事につい振り回されて忘れてしまうとき、カルメンのピアノを聞くと本当の自分がしたかった音楽を思い出すのです。

そのカルメンに癌が見つかったのはつい最近の事でした。

肝臓癌で症状は末期。あと一年、生きることは難しいと言われています。
夢を追ってキューバを飛び出し、世界中をピアノを弾いて渡り歩いた末に彼女が見つけた安息の地はここコルドバなのだと、彼女は言います。
毎日一日も休むことなくレストランでピアノを弾き続け、少ないお給料を少しずつ貯めて、いつかはキューバに帰りたいのだと、少女のような目をして今日も私に話をしていました。

彼女が演奏するピアノの響きは豊かで本当に可憐です。鍵盤の上を何の制約も苦しみもなく自由に喜びと共に駆け巡る彼女の10本の指は、カルメンの生き方そのもののような気がします。

カルメンのピアノが一日でも一分でも長くこの地上で響きますように・・・神様に願わずにはいられません。

  • 2010年06月14日(月)02時29分
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