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中部経済新聞連載「マイウェイ」第16回

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日本の「おちん」に鳴り止まぬ拍手

キューバ
キューバに到着した。空港は停電していた。真っ暗闇に右往左往していたら、キューバ人たちが道案内をしてくれた。皆口々に「おちん」と呼びかけてくる。当時キューバではNHKテレビ小説「おしん」が大流行していた。「し」の発音が「ち」になってしまうキューバ風のスペイン語のためにそう命名されてしまったようだ。
ハバナの街では見たことのない世界が広がっていた。燃料不足のため自転車や馬車が多く走っていた。建物や道、車がボロボロ。1日の大半が断水で、調理する燃料も貴重だった。1990年代の当時は「平和時の非常期間(Periodo especial de la paz)」と呼ばれる経済危機の真っ只中だった。
その「おちん」がピアノを弾くという噂は口コミで瞬く間に広がった。1500席もあるコンサート会場は、立ち見客も溢れるほど満席になった。
コンサート当日、迎えの車の燃料が切れてしまったために、会場に到着したのは実に開演5分前。すでにむせ返るほど人の熱気が客席から伝わってきた。リハーサルも音合わせもできず、いきなり本番を迎えた。半ば突き飛ばされるように舞台に出ていくと、まだ弾いてもいないのにお客さんから拍手大喝采を受けた。
舞台のグランドピアノは見たことのない旧ソ連製で巨大だった。ふたを開けると、中から黒い生き物がバタバタと飛び出していった。おそらくコウモリだ。
気を取り直して演奏に入った。キューバでの演奏を夢見て、それまで猛練習してきた。キューバ初演奏の記念すべき最初の音は「ソ」。指に全身全霊を込め打鍵した。しかし、出てきた音は「ソ」ではなく「ポコッ」という聞いたこともない乾いた音だった。見るとそこに「ソ」の弦は無かった。ソだけではなく何本もの弦が欠けているのだ。
これには困った。どうしたら良いものか考えると同時に「私以外も皆このピアノで演奏をしているのだ」と思った。日本代表の自分も「ここでくじけてなるものか」と逆に心が奮い立った。ソは隣のファの音で適当に補い、後はほとんど直感と勢いで弾いた。
演奏後、まさかのスタンディングオベーションの鳴り止まぬ拍手を浴びた。この大盛況だったコンサートのおかげで、キューバ国立音楽院の客員講師として働かないかと声をかけていただき、キューバで暮らすことが決まった。

  • 2023年03月19日(日)01時55分
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