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中部経済新聞連載「マイウェイ」第11回

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東独亡命者の涙

ベルリンの壁
ミュンヘン音楽大学で時々独特な演奏スタイルのピアニストを見かけた。年齢は若めだが、生徒でも教官でもない。アシスタントか日雇いのバイトという感じで、歌や楽器のピアノ伴奏シーンで見かける人たちだった。この「ピアノ伴奏」というのが実は難しい。あらゆる音楽背景を学び能力を育んだ人にしかできない特殊な技術だ。彼らの多くが独り者で寡黙でミュンヘンには少ないタイプの「ちょっと暗いドイツ人」だった。
そのドイツ人たちがある時期を境に急に増え出した。1989年初頭くらいである。彼らはベルリンの壁が崩壊する以前から壁を乗り越え、東欧や東ドイツから渡ってきた亡命音楽家だった。
彼らの知識量やテクニックの高さ、レパートリーの膨大さは半端ではなかった。自分の命を守り生き延びるための手段として音楽を選んでいた。想像を絶するような時間を練習にささげていたのだろう。その技は国家からも剥奪されることの無い確実な財産だったはずだ。故郷と家族を捨てて、自由と命を得ようとしていた。
1989年11月2日。数人の学生と一緒に学生寮の小さなテレビでベルリンの壁崩壊の映像を見ていた。その中の一人が大粒の涙を流しながら静かにその映像を見ていた。
彼は今でも親しくしている旧東ドイツ出身の音楽仲間の一人だ。壁崩壊の3年前に亡命を試みたものの、壁を越える時に撃たれ、囚われ、強制労働を強いられた経験があった。一部の指が動かなくなっていた。
彼は大切な指、故郷に残した家族を失ってまでも、壁を越えてきた。その壁がこんなにもろく崩れたのだ。もし崩れることが事前に分かっていれば、もちろん大変な思いをしてまで壁を越えるようなことはしなかっただろう。彼の涙は喜びによるものではなく、悔し涙だった。
世界にはいろいろな人がいると感じた。彼のように自分の故郷を失い、指を撃ち抜かれる境遇の人がいることを知った。
そして大変な苦労を味わった人が奏でる音楽はその分とても音が美しいことも知った。こめられた音にその人の人生が詰まっているからだろう。
悔し涙を流した彼は今、ドイツ・ミュンヘンで子供のピアノ教育者として多くの楽譜や本を出版して、名を上げて豊かに暮らしている。

  • 2023年03月14日(火)19時38分
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