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PIANIST | MINE KAWAKAMI オフィシャルサイト | DIARY

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記憶

先月、中米キューバへ演奏会に行ってきた。
23年ぶりにカマグエイ市の下宿していた家を訪れた。交通の便が悪い上に最近のガソリン不足が重なって、キューバ島の中央内陸部にあるこの街まで行くのが一苦労で、陸路で島を横断しながらの里帰りとなった。

カマグエイは、学生生活を終えて初めて音楽の教師として暮らした街だった。生活は現物支給がお給料だったので外国人が泊まるような高級宿に泊まることはできず、街外れの貧しい黒人家庭の小さな一軒家に居候させてもらった。
当時はソ連に続いて東欧諸国が崩壊し物資が途絶えていたキューバの困難期で、水道も電気もほとんど機能していなくて料理をするのに火を使えない日も週に半分ほどだった。
夜明け前に配給所に行ってお米や卵、パン、牛乳などをもらって自転車で音楽学校に通い、日没と共に就寝するような日々だった。食料が届かない日は近くの小川へクレソンを摘みに行ったりもした。
なのに、その頃の記憶は豊かで幸せだった思い出しかない。

毎日通った、街の反対側に位置する音楽学校までの自転車での通勤路が好きだった。馬車がいっぱい走っていて、馬と一緒に道路を進むのが楽しかった。
あれから23年、何度夢の中でこの道を自転車で走っただろうか。
時の記憶というのは断片的な景色だけを鮮明に残しながらもかげろうのように消えていくものなのか。夢の中でなんども道に迷い、気がついたら見知らぬ海の前についていたり、いつも現れる現実では行ったことのない筈の森の中に迷い込んだりして、ずっとこの家に着く事ができなかった。
先日、その途切れ途切れだった夢の中の道の記憶を現実にもう一度自分の足でなぞり直す事ができる事がこんなに幸せな事だとは思わなかった。消えかけていた記憶の風景を現実の風景が自分の足音と共に実感と共に上書きして、しっかりと過去と今の景色を繋ぐ。
心の中にあった得体の知れないぼんやりとした不安が霧のように晴れて解けていくような、記憶と現実が繋がるという快感に近い感覚があるものかと驚いた。
もう夢の中でカマグエイの道を迷う事はないのだ。

キューバやスペインが好きなのは、古い建物を取り壊さず、木々を簡単に伐採しないので、何十年、何百年経っても景色がほとんど変わらないからかもしれない。変わって行くのは生まれて死んで行く人間だけなのだ。

私が生まれた長久手の家・芸大職員官舎はとっくに取り壊されて、あの頃歩いた道すら存在しない。なのに、いまでも一番よく見る夢はその家や道で、小学生の身長の視点から見上げているのだろう、木でできた家の階段の手すりやベランダのコンクリートの風合い、玄関に続くレンガの置いてある感覚や模様、風が吹くと聞こえる家の前のポプラの木の音まで鮮明に残っていてる。でも所々、その幼い頃見た景色が私の心の記憶の風景の中では消えていて、何度も道に迷って帰りたい所に帰れない夢を見る。

同時に、今のように何でも写真や動画に記録できない時代でよかったなと思ったりもする。
さて、今日もピアノに向かって、記憶が完全に消える前に景色を音にして記録しておかなくては。

  • 2020年02月07日(金)07時34分
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