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PIANIST | MINE KAWAKAMI オフィシャルサイト | DIARY

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クロアチアとセルビア。

ミュンヘンにシュトラフコという友人がいる。
年は私と同い年で、25年前に旧ユーゴスラビアからミュンヘンに移住してバイエルン風の古民家でクロアチア郷土料理とビアガーデンを合わせたお店を経営している。

同じ人間かと思うほど彼の肉体は巨大で逞しく、二の腕などまるでポパイのようである。
クロアチア人の彼の人生は凄まじい。1991年から約5年間続いた旧ユーゴスラビアの分離独立の中でセルビア人と民族対立したクロアチア紛争の司令官として戦線に立ち「英雄」として最高司令官にまで上り詰め、戦争が終わった後に国から「ご褒美」として好きな国に移住して生涯そこで暮らせるだけの報酬と永住権をもらえるという権利を得て、ミュンヘンにやって来たのだった。

彼はK1が大好きだ。
お店に食事に行くと、30分はK1のビデオを一緒に見なくてはならない羽目となる。彼の友人で、かつて同じ部隊に所属していたミルコ・クロコップという青年が日本に行ってK1で大活躍しているというのが彼の自慢だ。同じ部隊でもシュトラフコは射撃の名手、そしてミルコは素手で人を瞬時に倒す能力を持った強靭な兵士として共に戦ったのだそうだ。そんな同志ミルコが今でも戦っている姿をビデオで見るのが彼の一番のリラックスタイムなのだと言う。

ユーゴスラビア、と聞くと思い出す事がある。
高校を卒業してミュンヘンに渡り、大学の入学試験を受けるために2ヶ月間だけ通った語学学校の集中クラスの中にサッシャという美しいセルビア人の青年がいた。金髪で宇宙から見た地球のような青い目と透き通る肌をした、時々寂しそうな表情をして窓の外を眺めている彼の姿があまりにもカッコよくて、日本からやって来たばかりの私は時々授業も忘れて彼に見とれていた。
そんな彼からある日、学校の帰りに気に入っている公園があるので散歩に行かないかと声をかけられた。天にも昇る気持ちで彼についてその公園に行ってみると、そこはミュンヘン最古の墓地公園だった。
とは言っても、ドイツの墓地は美しく市民が散歩に来たり有名な先人の墓石を眺めたりする憩いの場でもある。
そんな墓石の間のベンチに座って、彼は私に故郷セルビアの写真や、自分がボーカリストとして所属しているヘビーメタルバンドの音楽をウォークマンで聴かせてくれた。セルビア語なので歌詞の内容はわからなかったが、何度も「ベオグラード」と歌っているのはわかった。ベオグラードはセルビアの首都である。
自分と同い年で、こんなに祖国の事を愛して音楽に生まれ故郷の名前まで入れるなんて、日本人の自分には当時とても考えられない事だった。

それから程なくして国の為にセルビアに戻らなくてはならなくなった、とサッシャから伝えられた。難解なドイツ語の授業の唯一の通学の楽しみだったサッシャの美しい顔が見られなくなるのかと、ガッカリしたものだった。
お別れにCDをくれた。家に帰って開けて見たら、そこに紙切れが入っていてセルビア語で何かが書かれていた。Volim Teと書いてあった。
私にはその文章の意味がわからなかった。

それ以来、サッシャの消息はわからない。
サッシャがセルビアに帰って間もなくしてユーゴスラビアの分離独立戦争が勃発し、連日テレビで目を覆いたくなるような悲惨なニュース映像が流れ続けていた。
彼は今でも生きているのだろうか。あの時彼が祖国に帰ったのは、クロアチア人と戦う為だったのだろうか。

・・・という話をシュトラフコに先日ミュンヘンに行って久しぶりに再会した時にしてみた。
そう言えば、シュトラフコもサッシャも私も同い年だった。

「大量に撃ち殺したセルビア人の死体から身分証明書を抜き取って全部記念に保管しているので、今度実家に帰ったらそいつの名前の書いてある身分証明書があるかどうか見てきてやるよ」
と、冗談なんだかホントなんだか分かりたくないジョークをシュトラフコは言うのだった。「で、その意味不明の文章、何て書いてあったの?」

私は、30年の時を経て今初めて知ってしまったのだった。
"Volim te"が、「あなたを大切に思っている」と言う、愛の告白の言葉だった事を!

  • 2018年05月13日(日)01時26分
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