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中部経済新聞連載「マイウェイ」第13回

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パエリアで前を向く

スペインへ
ドイツ・ベルリンで1年ほど過ごしたが、当時の記憶はほぼグレー色に染まっている。天気は雨や曇りの日ばかりで、太陽を浴びながら深呼吸をした記憶も大声で笑った記憶もない。そして自分の未来にも全く光は見えなかった。
ドイツとの別れは突如訪れた。思い悩んでいた最中、数少ない友人の一人との間に思いがけない事が起こった。それが弾みとなり、自分自身を縛っていた糸がプツッと切れた。  「ドイツを去って、もう一度自分に足りないものを学ぼう。心から笑えるように世界のどこかへ行こう」と思い立った。
早速、次の行き先に思いを巡らせた。直感でイタリアかギリシャかスペインを候補にした。太陽が燦々と輝き、歴史があって、魚がおいしい国に行きたかった。
大学院受験の情報を集めに、まずスペイン大使館へ足を運んだ。それが運命だった。大使館の待合室でたまたま横に座っていたスペイン人がオーケストラの指揮者だったのだ。その場でその人が薦めてくれたスペインの音楽祭に参加することが決まり、本当にスペインへ行くことになった。大半の持ち物を処分して旅行鞄一つでスペインに渡った。スペイン語はひと言も分からないままだった。
スペイン行きの飛行機から見た景色が忘れられない。ドイツを離陸して分厚い雲を何層も抜け、久しぶりに透き通った青空に出会えた。次第にギザギザとした峰々がそびえ立つピレネー山脈に近づく。それまで眼下には鉛色の雲が広がっていたが、ピレネー山脈を境にぶつりと雲が消えた。その先は、ただただ広大な褐色の大地が広がり、ちらほらと白い集落が点在していた。
かつてルイ16世は「ヨーロッパと呼んで良いのはピレネー山脈まで」という言葉を残した。飛行機から様変わりする景色を見つめながら、その言葉の意味を感じていた。
スペイン行きの選択が間違いではなかったと確信したのは、到着して最初の昼食だった。マドリッドでの昼食の前菜として出てきたパエリアに、ご飯が見えないほど蟹や貝が入っていた。
スペインは、空を見上げるといつも太陽か星が輝いていた。「ああ、ここならもう一度ピアノを一から頑張れる」。視線は自然と前を向いていた。

  • 2023年03月16日(木)19時41分
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