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ギゼラの卵ケーキ。

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ギゼラと言う81歳のお婆さんがいます。

私がドイツに留学していた時、国内情勢は大きく揺れていて、東西ドイツが間もなく統一されようとしている時期でした。
まだ私もその頃はドイツ語が流暢には話せなかったのですが、そんな時期に一度、国境を越えて東ドイツのドレスデンという街に演奏会をしに行った事がありました。
ギゼラはその旅で出逢い、ホームステイ先のお母さんとして世話になった女性です。

当時の東ドイツは本当に貧しくて、ドレスデン市にあるお店に行ったら、玉ねぎと何百というレーニンの胸像の2種類だけが売られていてビックリした事を今でもよく覚えています。

ギゼラの家にホームステイしたのは、マイナス20度という冬の寒い時期でした。
まるでアンデルセン童話に出てきそうな煙突のあるメルヘンチックな小さな家に暮らしていて、凍る思いでリハーサルから戻ってきた私に暖かいお茶を入れて、冷えた体を温める足湯も薪で炊いてまるで実の娘のように可愛がってくれました。
大声で歯ぐきまで見えるほど大きく口を開けて豪快に笑うギゼラの笑顔は、全身が骨まで凍るような寒さも、バターもお肉も石鹸もトイレットペーパーも手に入らない厳しい生活も吹き飛ばすほどのパワーがありました。

ドイツでナチスが政権を獲得した時代に生まれたギゼラは、ある若き青春の日、初めて恋をして、その男性と結ばれ、相手の男性の名も住所も訪ねないまま別れたのですが、その数カ月後、そのたった一度きりの夜に子供を妊娠したことがわかり、当時では社会的には認められなかった「未婚の母」となって女手一人で家族を支え続けた逞しい女性です。
どんなに物資が乏しく、材料が足りなくても、アイデアマンのギゼラの手にかかるとまるで魔法にかかったように美味しいケーキが出来上がったり、たちまち体が温まったり、お姫様のように素敵な寝室にデコレーションしてくれたり、と私にはとってはドレスデンでの毎日が驚きの連続でした。
その後ドイツが統一され、物資がまるで洪水のように東ドイツにも流れ込み、誰もが自由に国外に出ることが出来るようになると、早速彼女は旅を始めるようになりました。
それも、苦手な飛行機には乗らないで、どこまでもバスで。
私がスペインに住むようになった時にも、ドイツからバスに乗ってフランスを通り、ピレネー山脈を越えて片道3日もかけて会いに来てくれたことがありました。
お土産にドレスデンで焼いたギゼラ得意の卵ケーキをスペインまで持ってきてくれたのですが、あまりにも有難くて、もったいなくて、食べられないまま気が付いたら石のように硬くなっていて、それでもずっと下宿部屋に大事に取っておいた事を今でも思い出します。

ギゼラと最後に話をしたのは先週の月曜日でした。
インターネット電話で聞こえてくる彼女の声は昔と変わらないのに、その横には立派に大きくなったお祖母ちゃん思いのギゼラの孫がベッドに横たわる彼女を支え付き添っていました。
「ギゼラが得意だった卵ケーキがまた食べたいな」と伝えると、
「いつでも食べにおいで、作って待ってるよ」
そう言って笑う彼女の声が、私が聞いた最期のギゼラの声となってしまいました。

一昨日、まるで眠るように亡くなったと、ギゼラの家族から連絡がありました。
そして、彼女から託された文章を送ります、とメールが送られて来ました。

その文章を開けたとたん、涙が止まらなくなってしまいました。
「ギゼラの卵ケーキのレシピ」だったのです。

  • 2011年08月30日(火)01時13分
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